プロフィール

伝法谷 敦志(デンポウヤ アツシ)

Author:伝法谷 敦志(デンポウヤ アツシ)
1963年3月24日生 北海道夕張市出身。
高校卒後、就職の為上京。1年で退社後俳優を目指し
1984年から仲井真嘉子(ナカイマ ヨシコ)の内弟子となる。
それ以来ワークショップの活動を支え続け、2001年より
仲井真嘉子の後を引継ぎ主宰者となる。

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N・Y アクターズワークショップ
N・Y アクターズワークショップでは、マイズナーテクニックを演技の基礎として学べます。
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マイズナーは演劇の最高の秘密だった
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《写真のコメントより》
サンフォード・マイズナー 、85歳、映画や舞台などでお馴染みのグレゴリー・ペック、ロバート・デュバル、ジョアン・ウッドワードらを含めた最も熟練した、そして有名な俳優達を訓練しました。

《本文より》
彼の身体は障害を受けて、しかも彼の声はかすれたしわがれ声である。 それでもサンフォード・マイズナーは続けている。 マイズナーは85歳を迎えた1週間前の誕生日に、アメリカンマスターという番組(PBS)でプロフィールを紹介されました。

彼はアメリカで最高の演劇の教師の1人と思われています。 「私自身、楽しんでいる唯一の時は教えている時です。」と彼が言います。 そしてその楽しみは 50年以上続きました。 およそ50年の間、マイズナーはニューヨークのネイバフットプレイハウスでアクティングを教えました。

リー・ストラスバーグ、ユタ・ハーゲンあるいはステラ・アドラーと比べてあまりよく知られていなくて、彼は「演劇の最高の秘密」と呼ばれました。 しかし、それは彼の生徒達からではありませんでした。

献身的なマイズナー門弟のリストは印象的です:ジョアン・ウッドワード、ロバート・デュバル、グレゴリー・ペック、トニー・ランドル、エリー・ウァラク、 アンネ・ジャクソン、ピーター・フォーク、グエン・バードンとさらに多いのです。 「彼が我々に要求したものは真実のアクティングだった」と、ペックがテレビ放送で感謝を表したことを思い出します。

 「そしてその証として彼ら自身のアクティングに、ある種の基礎が築き上げられ、そしてアメリカのアクティングは大いなる変化をもたらされました、そうした中から出てきた人々の数です。」と語りました。

近頃、彼の身体は病いにより弱くなってきましたが、マイズナーは辞めませんでした。 1984年の交通事故により、左脚と腰を打砕きました。 その10年以上前には、咽頭癌が彼の声を奪いました。しかし、彼は食道に空気を吸込んで音を出し、再び話す事を学びました。 

ま た、マイズナーはアクティングについて、それがそうなのか、そうじゃないのか、分析しながら話をするのが大好きです。 「私は明確な定義を持っていま す」、とマイズナーが言いました。 また、先日のインタビューでは「アクティングは想像上の状況の基で正直に生きる能力です。」とも言っています。

台詞を学ぶ能力は十分ではありません、と彼が言いました。 「俳優はテキストを生きたものにしなければなりません。」 「俳優だけが、どのように彼ら自身 の内面に真実を見いだし、台詞の真実がどこから見出されるべきか知っています。 私の仕事は、それらが表面に現れて来るために、何かが内面に起こっている ことを認める練習の手助けをすることです。」

マイズナーはニューヨーク、ロサンゼルス、そしてカリブ海のベキュイア島の彼の家で教え ます。 毎年夏にはベキュイアで25人の年輩でプロの俳優のために2週間と4週間のセッションを行います。 もし彼らが、これらのワークショップを乗り切 るなら、研究生は11月に始まって5月に終わる2年間のコースのためにカリフォルニアに行きます。

彼は、技術に関する知的な論理を嘲笑い、アクティングに関しては僅かなルールを使うだけでした。 「アクティングは行動であり、そして有意義なアクティングとは感情的な状況の基に行動する事だ。」と彼が言います。

ニューヨークで、マイズナーはネイバフット・プレイハウスでアクティング課の長を務めています。 彼は9月に通常75~100人の新入生をすべて受け持ち ます。 毎日これらの新入生は、たいてい自然性と集中力の開発を取り扱う、一連の訓練を体験しなければなりません。 その後に、特徴開発のクラスがありま す。  11月になると彼は研究生達を、彼自身が訓練した教師に引き渡しましたす。

マイズナーが教えるとき、不明瞭なしわがれ声を拡大 するために、たいていマイクロホンを使いました。 けれども彼の意見は、相変わらず明確でしかも鋭いです。 「最近の学生は幾分教養がありません。」、と彼が言いました。 「多分それはテレビです。 彼らは演劇に必要な多くの基礎を持っていません、しかも何故、 彼らは浅はかな事しか知らないのか。 皆がただお金を儲けることを望み、その原因はテレビにあります。」

マイズナーはブルックリンで生まれました。 ハンガリーの移民の息子として、彼は父親のような毛皮職人になるように訓練されました。 けれども彼は19歳のとき劇場を見つけ出し、それからは父の言う事には回顧しませんでした。 その代わりに彼は俳優になりました。

マ イズナーは、ハロルド・クラーマン、リー・ストラスバーグ、シェリル・クロフォードらと1930年代にブロードウェーで有名かつ影響力を持ったグループ・ シアター創立者の1人でした。 「Men in White」、「Awake and Sing」、「Golden Boy」を含む劇団の大ヒット作のいくつかに出演しました。 マイズナーはグループ・シアターのメンバーであると同時に、ネイバフット・プレイハウスでも教え始めました。

劇団は1941年に解散しま した、しかしマイズナーはネイバフット・プレイハウスで教え続け、ごくまれに舞台に出演するだけでした。 彼の映画出演もやはりごくまれでした。 彼が出 演した映画で、最も良く知られているのは、「The Story on Page One」と「Tender is the Night」でした。 

しかし、彼は研究生達にあらゆる種類の芝居をするよう熱心に話し、彼が特別に演じて見せたのは、もしも研究生らが自分たちの技能向上を望む場合のみでした。 「アクティングは面白いです。」と彼がテレビ番組で言います。 「それを、やたら広めないでください。」(笑)




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テーマ:演劇・劇団 - ジャンル:学問・文化・芸術



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